東京市場

:シーズン3

.

2020年前半も、売り目線。 (買いに傾けあけすけには、まだ早いでしw
2020年後半は、買い付けしましょうかw (ただし、分割買い下がりですよー
2021年は、逆張り買付けのあけぼの。(億り人に成りたくば おくびょうなくらい慎重にね
2022年前半は、有事にカイ、平時にウリ。(本当のところは全然わかりません。
2022年後半は「1枚買って、見ているだけでイイ」
2023年前半は 欲張るな、地味な変態で行こうw
2023年後半も 地味な変態を続けましょうか。(小さく始めて、ゆっくり 大きく増やすのヨ
2024年前半は 鷹揚な美意識でもいいじゃないか。
2024年後半は 買ったら放置。 ゆっくり積み増していけばイイ。
2025年前半は 攻めた手がアリかも でも慎重にね。
2025年後半は「無茶をしないように、無茶をしよう」
2026年前半は トレーヂングにジャンキー感を混ぜてみようw
2026年後半も トレーヂングジャンキーで行こう (ただし やさしく触ってネ
_____________________________

才能の内側、大人の外側。
 ――極限の表現者たちが生き残るための「身の処し方」

音楽で食べていくこと、あるいはスポーツの「プロ」として自らの肉体や技術を競技という形で、
差し出し、その報酬だけで生計を立てること。そういうパフォーマーは、この地上ではごく限られた
人間にしか許されていない「細い一本道」であるという事実は、たいていの人は、憧れとともに
ぼんやりと知っている。神に選ばれし一握りの「優れ者」だけが、その狭き門をくぐり抜け、
まばゆいスポットライトを浴びることができる。ところがそんな優れ者のなかに、しばしば
勘違いをしてしまう者もいる。その卓越した表現の才能さえあれば、彼らは社会の引力から自由になり、
自立して生きていけるのだと。

日常会話やネットの掲示板を眺めていると、ときおり「やらかし」という言葉に出会う。

これは言うまでもなく、不適切なことをしてしまう、あるいは重大な不始末をしでかす
という意味の動詞「やらかす」が名詞化したもの。そして悲しいかな、この「やらかし」の主語になるのは、
往々にして私たちが「天才」と崇める表現者たちだったりする。
記憶に新しいところでは、世界的なピアニストである反田恭平氏をめぐる一連の報道、
――速度超過による不祥事があった。
彼が紡ぎ出すメンデルスゾーンのピアノ演奏を、それこそ「ヘビロテ」と呼ばれるほど熱心に
親しんできた一人である。だからこそ、あの美しい音色を響かせる指先が、日常の規律という
あまりにも凡俗な地平で「やらかし」を起こしてしまったことに、深い落胆を持った。
加えれば、彼のパトロンを務める森精機。私個人としても株主というつながりで、
今後どんな対応をするのか興味津々でもある。

芸術的にどれほど優れていようとも、それは経済的な自立や、社会的な正しさを担保するものではない。
それは、あるアマチュアオーケストラの指揮者(@weekendaviator)がSNSで綴っていた言葉に、
付して考えさせられた。「演奏家としての才能と、事業を経営する能力、そして持続させる経済的基盤は、
それぞれ別のものなのだ」と。プロとして生きる以上、そこには顧客がいて、スポンサーがいる。
企業からの協賛という危ういバランスの上に成り立つ表現の世界において、「やらかし」によって
パトロンとの信頼関係が失われれば、どれほど天上の音楽を奏でようとも、その活動基盤そのものが
一瞬で瓦解してしまう。一方で、同じように「限られた者」たちがしのぎを削る欧州サッカーの世界に
目を向けてみると、少し違った景色が見えるのだ。そこでもスター選手たちの「やらかし」は日常茶飯事
だが、彼らの周囲には、破滅の淵で踏みとどまらせるための分別ある「大人」が存在しているようなのだ。
たとえば、かつてマンチェスター・ユナイテッドで数々の問題行動を起こし、時に暴力的でさえあった
元イングランド代表のウェイン・ルーニー。彼がどれほど荒れ狂おうとも、名将アレックス・ファーガソン
監督という絶対的な「大人」が、時には父親のように叱り飛ばし、時には社会の荒波から守りながら、
彼をピッチの怪物へと繋ぎ止めた。あるいは、傍若無人な言動で知られたズラタン・イブラヒモビッチも、
ACミランのパオロ・マルディーニ(当時テクニカルディレクター)のような、誰もが敬意を払わざるを
得ない「本物の大人」に諭されることで、チームを率いる絶対的なリーダーへと精神的な成熟を果たした。
傲慢さや危うさを抱えた天才がやらかしかけたとき、それを「さとしてくれる環境」が、
ヨーロッパの成熟したスポーツ文化にはシステムとして組み込まれているのかもしれない。

結局のところ、世間には「やらかし」をしてもなぜか許される空気を持つ人と、一発で退場させられる
致命的な犯行に手を染めてしまう人とに分かれる。その境界線はどこにあるのか。
それは、その者の身の処し方が、本質的に「大人」であるか否かという一点に尽きるのではないか。
ここでの「大人」とは、自分の才能を過信し、社会に対して甘く見るあるいは軽んじることなく、
自らを支える他者(スポンサーやファン)への想像力を持ち、自らの非を誠実に認められる態度のことで
あろう。表現の「内側」ではどこまでも尖った天才でありながら、社会と接する「外側」では、
冷徹なまでに分別のある大人として振る舞うこと。その二面性をコントロールする知性こそが、
極限の世界で生きていくための、最も洗練された「身の処し方」なのだと思う。

 

_____________________________

自分の物欲なんてとっくに満たされ、あるいは最初から興味がないのだ。
関心は「この資産を使って、どう世界を面白くするか」に向いている。

「あの、聞いてくださいよ。ついに資産、一億超えたんです。
これで僕も富裕層の仲間入りですよね?」
居酒屋のハイボールを片手に、少し上気した顔で男が言う。
その目は「褒めて、羨んで」という欲望でギラギラと輝いている。
可愛い。実に可愛い。微笑ましすぎて、思わず頭を撫でてあげたくなる。
日本円で一億。確かに大金だ。普通の会社員が生涯かけて稼ぐ額を思えば、
一つの到達点ではある。けれも申し訳ない。本物の「上の世界」を知る人から見れば、
それは「ようやくスタートラインの白線が見える位置に並べたね」というレベルの話なのだ。
ここで一冊の本、『億までの人 億からの人』
文字通り「国家予算レベル」の金を動かす怪物たちを見てきた著者が、冷徹かつ
情熱的に明かす「本物の富豪」の生態学だ。
この本を読んでいると、私たちが普段いかに「矮小な数字」にしがみついて
生きているかがよく分かる。
著者は、資産のステージを鮮やかに切り分ける。
まずは「億までの人」。彼らの行動原理は「自分のため」だ。
いい車に乗りたい、タワマンに住みたい、他人に自慢したい。
そう、冒頭の彼のように、「承認欲求」を燃料にして必死に坂道を
登ってきた人たちだ。しかし、「億からの人」は違う。彼らの目的はすでに
「社会の変革」や「次世代への投資」にシフトしている。自分の物欲なんて
とっくに満たされ、あるいは最初から興味がなく、
関心は「この資産を使って、どう世界を面白くするか」に向いている。
さらにその先、著者が目撃した「兆人(ちょうびと)」と呼ばれる領域に至っては、
もはや次元が違う。彼らは「お金」を数字としては見ていない。それはエネルギーであり、
インフラであり、世界を動かすための「血液」なのだ。
一億程度の貯蓄を「減るのが怖い」と銀行に死蔵させているマインドとは、
根本的にOSが異なっている。
なぜ私たちは、一億円ぽっち(あえてこう言おう)で、あんなにも
全能感に浸れてしまうのだろう。それは、私たちが「お金の量」でしか
自分の価値を測れない、貧しい想像力しか持ち合わせていないからだ。
「一億あるから、もう一生働かなくていい」
そう言って、毎夜高いワインのラベルをSNSにアップする。
その姿は、まるで「大きな玩具を拾った子供」のようだ。玩具を手に入れた子供は、
それを近所の友達に見せびらかしたくて仕方がない。でも、通り過ぎる本物の大人は
それを見て「良かったね」と微笑むだけだ。なぜなら、大人は知っているから。
その玩具が、世界の広さに比べたら、いかにちっぽけなプラスチックの塊であるかを。
『億までの人 億からの人』が教えてくれる最も残酷で、かつ最も救いのある真実は、
「お金はゴールではなく、ただの手段である」という、あまりにも手垢のついた、
けれど誰もが忘れてしまう教訓だ。一億を貯めてドヤ顔をしている人は、
「手段」をコレクションして満足しているコレクターに過ぎない。
高級な絵の具を揃えて満足し、一枚の絵も描かない画家のようだ。
本物の「兆人」は、ボロボロの筆でも、世界というキャンバスに
巨大な絵を描こうとする。その熱量に、結果として「兆」という数字が
ついてきているだけなのだ。だから、もしあなたの周りに「俺、億り人だから」と
マウントをとってくる人がいたら、どうか優しい目で見てあげてほしい。
彼はまだ、「自分のため」という狭い檻の中で、必死に数字のダンスを
踊っているだけなのだから。
「すごいね、頑張ったね」と声をかけつつ、心の中でこう呟こう。
――さあ、そこからが本当の人生の始まりだよ、と。

 

 

_____________________________

頭のいい人って、「待つ」という事が得意なのである。
 人生を豊かにする「教養」の活かし方

頭のいい人って、待てるんですよね。
「これが何の意味があるのがわからないけど、続けていればきっとわかるようになる」という
無邪気な信憑を持っている。
逆に頭の悪い人は「これがどんな意味があるのか納得できるようにいますぐ示せ」と要求する。
あるいは、教養ないひとは「地味さ」に耐えられないんだよな。
本を1冊読んですぐ何かが変わるわけじゃないし、英語も筋トレも、成果が目に見えるまでには
何か月もかかる。その「何も起きていないように見える期間」を退屈だと感じて、すぐに派手な
近道とか速攻ノウハウを探しにいってしまう。
さらには 教養ない人の特徴は「散歩」が苦手なことだと思う。
ぶらぶらする、という退屈を楽しむことができないでしょ?。
何かに急かされるようにスマホを開いては、気づけば1時間が溶けている。動画、SNS、また動画。
楽しかったかと聞かれると、よく分かりません。楽しみたかったというより、
ただ退屈が怖かっただけかもしれない。強い刺激に手が伸びるのは意志が弱いからではなく、
退屈な時間を面白がる道具を持っていないからだと。その道具とは「教養」のこと。
教養といっても、高尚なローマ史をそらんじるみたいなマウント取りではないw
たとえば散歩の道中で目にするであろう街路樹。ほんの少しでも植物に関心を持っていれば
都会の街路樹にはイチョウばかり植えられているのかという問いが立ちます(火に強いから)。
少し知っていれば、それは立派な「読み物」になる。教養とは、退屈な風景をエンタメにかえる
「翻訳機」のようなもの。強い刺激を外から仕入れる必要がない。目の前の弱い刺激だけで
十分に楽しめてしまうからです。逆に教養を持たない人には世界が白紙に見えているのかも。
ゆえに色のついた娯楽を外から常に流し込み続ける依存症に浸かっているのかもしれない。
あるいは強い刺激を欲しがる体質は打ち上げ花火みたいな派手さが気持ちいいのだ。
上がった瞬間だけ明るく、けれども消えたあとは前より暗く虚しく感じて、自己嫌悪の繰り返し。
一方で弱い刺激を楽しめる人の日常は、派手ではないけれど薄明るい線香花火だ。
次の花火をドカンと打ち上げる必要もなく、淡々と楽しめる。
刺激的な体験をつぎ足すより、地味な風景を面白がる目を育てる方が、長い目で見れば
ずっと豊かであろう。(もちろんお財布にも優しいはずだ。)
教養とは「退屈への耐性」のことなのだと。

 

「教養がある人は、不確定な未来を信じて『地味な時間』を待てる」というお話と、
「不安なら立ち止まらずに、とりあえず『手を動かす』のが最強のライフハック」というお話。
一見すると、前者は「動かずに耐えること」を、後者は「耐えずに動くこと」を勧めているように
見えて、完全に矛盾しているように思えますよね。
でも、本当にそうでしょうか。この二つの文章はケンカしているどころか、
実は「私たちの人生を、スマホの画面から救い出す」という同じゴールに向かって、
ガシッとスクラムを組んでいるように見えるのです。
結論から言ってしまえば、この二つの整合性を取るためのキーワードは
「散歩中の足は動いているけれど、頭の中は待っている」という状態。
つまり、「待つ」と「動く」は同時に両立できるし、むしろそれこそが、私たちが目指すべき
「知的なフットワークの軽さ」なのだと思うの。

まず、前者の文章が言う「教養がある人は待てる」の本質について、
少し解釈を広げてみたい。
ここで言う「待てる」とは、ただ部屋の隅で膝を抱えて、じっと嵐が過ぎ去るのを待つような、
受動的な態度ではない。むしろ、「すぐにわかりやすい答えを求めない、という知的なタフさ」
のこと。私たちは今、あまりにも「即効性」を求められる世界に生きている。
「タイパ(タイムパフォーマンス)」なんて言葉がもてはやされ、映画は倍速で観られ、
本の要約だけを摂取して「読んだ気」になる。
そんな世界で、「本を読んでもすぐには何も変わらない」
「でも、続けていればいつか世界の見え方が変わるはずだ」と信じることは、
それ自体がものすごく能動的で、知的な裏付けが必要な行為だ。
一方で、後者の文章が言う「とりあえず手を動かす、を義務化しよう」という提案。
これもまた理解してほしい。なぜなら、私たちが「待てない」とき、あるいは「生きづらい」と
スマホを握りしめて限界を感じているとき、私たちの脳内は「ノイズ」でパンパンになっているから。
他人のキラキラした生活、将来への漠然とした不安、失敗への恐怖。それらはすべて、頭の中だけで
ぐるぐると空回りしている状態だ。だからこそ、「スクワットを3回やる」「机の上を片付ける」
という風に、強制的に身体を動かして脳の暴走を止める必要がある。
これは実用的かつ有意義な現代を生き抜くための「最強のセルフケア」だと。
では、この「すぐに答えを求めず、地味な時間を信じて待つ知性」と、
「不安に押しつぶされる前に、まずは1ミリでも動く行動力」は、どうやって結びつくのだろうか。
ポイントは、「動かす対象」の違いだ。
後者の論調が「動かせ!」と言っているのは、私たちの「身体(手足)」。
一方で、前者の論調が「焦るな、待て」と言っているのは、私たちが手にする
「成果や意味(結果)」。つまり、私たちが取るべき最適な生存戦略は、
「手足はめちゃくちゃフットワーク軽く動かし続けるけれど、そこから得られる成果については、
もの凄く長い目で気長に待つ」ということになる。
たとえば、教養のない人が「散歩」を苦手とするのは、足は動いていても、
頭が「この散歩に何の意味があるんだ?」「何か面白いことは起きないのか?」と、
すぐにコスパや刺激(結果)を求めてしまうから。ゆえに退屈に耐えられず、歩きながら
スマホを開いてしまう。逆に、教養がある人の散歩は違う。
「とりあえず外に出て歩く」という行動自体は、ものすごく軽やか(フッ軽)だ。
たとえば「この街路樹がなぜイチョウなのか」とか「この道がなぜ曲がっているのか」
といった問いに対して、スマホで即座に答えを検索して満足するようなことは避ける。
「へえ、不思議だな」と、その違和感を頭の片隅にストックしたまま、また淡々と
歩き続けることができる。これこそが、「手を動かしながら、待っている」状態。
不安だからといって、ベッドの上でスマホを眺めながら「人生の意味」や「効率的な利益」を考えても、
脳内のキャパがオーバーするだけだ。そんな時は、後者の文章が言うように、ノイズをミュートして
「今、自分にできること」に集中して、さっさと手を動かした方がいい。
ただし、その動かした手の先にある成果に対しては、
前者の文章が言うような「無邪気な信憑」を持つべきであろう。
「今、私が読んでいるこの一冊が、明日何の役に立つかはわからない。
しかし「いつかは私の血肉になって人生を薄明るく照らし、散歩を楽しくしてくれるはずだ」と。
「止まるな。動け。」という言葉で心を守り、目の前の小さな一歩を踏み出す。
そして、その一歩一歩がもたらす地味な変化を、「教養」という名の翻訳機を携えて、
線香花火のように淡々と楽しむ。身体はアクティブに、心はタフに気長に。
この二つの態度を両手に携えることこそが、情報過多なこの時代を、すこやかに、
そしてとびきり豊かに生き抜くための、私たちにとっての「最適解」なのだと思う。

_____________________________

熟慮の時間が多いことが必ずしも良いとはいえない場合、
 とりあえず「手を動かす」の、マジで義務化してみよう。

最近、SNSのタイムラインを眺めていると、画面の向こうからもやもやとした「生きづらさ」のオーラが
漂ってくるのを感じる。みんな真面目で、優しくて、だからこそ「このままでいいのかな」とか
「将来が不安すぎる」とか、夜な夜なスマホの光に照らされながら限界オタクみたいに頭を抱えている。
ぶっちゃけ、その気持ちは痛いほどよくわかる。今の世の中、情報が多すぎて完全に
「脳内キャパオーバー」なのだ。次から次へと流れてくる他人のキラキラした生活や、逆に
暗いニュースを見ていると、何もしないでベッドに横たわっているだけで、心の中の不安が
「壁ドンの勢い」で迫ってくる。でもさ、ね、ここで一回基本に立ち返ろう。
不安を振り切る1番の方法は、行動し続けること。 これに尽きる。
人間、立ち止まるとロクなことを考えない。足が止まった瞬間に、不安は「おっ、待ってました!」と
言わんばかりに居座り、どんどん膨らんでいく。さながら、何もしないことで勝手に精神が削られていく
メンヘラ状態だ。だからこそ「止まるな。動け。」なのである。
ここで言う「動く」は、何も「明日から起業します!」とか「世界一周します!」みたいな
大層な話じゃない。できれば、その不安の根源に1ミリでもヒットするような行動がいい。
仕事が不安なら、とりあえず机の上を片付けてパソコンを開く。人間関係が不安なら、LINEの返信を
1通だけしてみる。健康が不安なら、スクワットを3回だけやってみる。
「え、それだけ?」と思うかもしれない。でも、この「1ミリでも解消に近づいている」という圧倒的な
事実が、驚くほど私たちの心を鎮めてくれるのだ。
「私、いま動けてるじゃん。大優勝では?」と思えた瞬間、脳内の不安はスッとフェードアウトしていく。
思えば、世間的に「この人、いつも楽しそうだな」「生きやすそうだな」って見える人たちがいるよね。
彼ら・彼女らを見ていると、ある共通点に気づく。
それは、シンプルに「できること」と「やりたいこと」だけに集中しているということ。
じつは人生って、「できること」がわかり、「やりたいこと」がわかれば、あんま手詰まりしないんだよね。
「これが好きだからやる」「これは得意だからやる」――それだけの、ものすごくシンプルな
2軸で生きている人は、迷いが少ないから行動のスピードもバカ速い。彼らは「とりあえず行動して、
ダメなら次いこ!」の精神(いわゆる、フッ軽)で生きている。
逆に、いまなんとなく「生きづらい……無理、尊い(皮肉)」ってなっている人ほど、
じつはその2つ『以外』のことに気が散っていることが多い。
「あの人にどう思われるか(他人の目線)」とか、「普通はこうするべき(世間の常識)」とか、
「失敗したら恥ずかしい(プライド)」とか。それ、全部あなたの「やりたいこと」でも
「できること」でもない。完全にノイズなのだ。他人のタイムラインを監視して
「うらやましい、嫉妬で爆発しそう」と病んでいる時間があるなら、自分の「できること」の
解像度を上げたほうが、100倍コスパがいい。私たちは、いつの間にか「全方位に完璧な人間」に
なろうとしすぎている。仕事もできて、オシャレで、優しくて、SNSのフォロワーも多くて……って、
そんなの「全知全能の神ルート」だし、普通の人間がやったら秒で詰む。
だからこそ、もっともっと「シンプルなとこに集中するだけで生きやすくなる説」を提唱したい。
生きづらさを感じたときは、深呼吸して、自分にこう問いかけてみよう。
「いま、私のやりたいことは何?」
「いま、私にできることは何?」
それ以外のノイズは全部「ミュート」でいい。
「止まるな。動け。」
これは、自分を追い詰めるための言葉じゃない。あなたの心を守るための、最強のライフハックだ。
不安で画面をスクロールする指を止めて、まずは目の前の小さな一歩を踏み出してみる。
その瞬間から、あなたの「すこやかな暮らし」は、もう始まっているのだから。

 

 

相場。
「永遠の初心者」
株式トレーヂングを何年も懲りずに続けている輩(やから)を揶揄する呼び名ですね。
んでもわたし自身の中ではそう呼ばれてもいいと思っています。
だって利益が積み上がる「わくわく感」はいつでも、何度でもかみしめたいじゃないですかw
そう、この成功体験がトレーヂングを続けるモチベーションですよね。

しかしながら株式トレーヂングを重ねると ほとんどの人は初心者を脱したいと、そんな欲が顔をだして、
取り組みにだんだん緩みが出て来るのよ。
通ぶって「カラ売り」したくなるのよ。
こなれて小洒落たトレーヂングがしたくなるんよw
そんな緩みは避けたい。

 

ウヲッチ銘柄に追加です。

 8306 三菱UFJさん   5844 京都FGさん 
底なし下落の兆しである。恐怖が燃料なのだ。
ウヲッチ銘柄の選択理由、「永遠の初心者」です。
安く買って、高きを売る。
レッツ 炎上 いえエンジョイですわよ。w

7011 三菱重工業さん  6503 三菱電機さん    6841 横河電機さん

 

_____________________________

「かっこいい、とはどういうことか」
自らの存在意義を、他者や社会に委ねないという圧倒的な覚悟だ。

「かっこいい」とは何か、などという問いを真面目に考えているのは、本来なら
人生の夏休みを謳歌しているおめでたい小学生くらいにしか許されていない特権だ。
私たちはいつの間にか大人になり、記号化された「かっこよさ」を消費する。
仕立てのいいスーツ、高級な腕時計、あるいは洗練された立ち振る舞い。
だが、そうした外面的なデコレーションをいくら身にまとったところで、本質的な乾きが
癒えることはない。むしろ、記号に依存すればするほど、内面の空虚さが際立つだけだ。
宮崎駿の映画『紅の豚』に、こんな有名なセリフがある。「飛ばねえ豚は、ただの豚だ」と。
主人公のポルコ・ロッソは、国家やイデオロギーといった大文字の正義から背を向け、
自らに課したルールのためだけに地中海の空を飛ぶ。彼はハンサムな人間の顔を捨て、
豚の姿を選んだ。社会的な地位や、他者からの承認といった
「世間体」から完全に逸脱している。それにもかかわらず、私たちは
彼を強烈に「かっこいい」と感じる。それはどういうことかといえば、
彼は、自分自身の限界と孤独を完全に引き受けているからだ。誰のためでもない、
自分だけの飛行艇を駆り、自らの意志で空を飛ぶ。その孤高の姿勢こそが、
彼を特別な存在にしている。『紅の豚』が示しているのは、洗練された記号の美しさではない。
自らの存在意義を、他者や社会に委ねないという圧倒的な覚悟だ。

では、現代社会において、本当の意味でイイ「大人の紳士」が嗜むものとは一体何だろうか。
それは高級な葉巻でも、年代物のワインでも、ましてやSNSでの自己顕示でもない。
彼らが真に嗜むべきは、「自律的な孤独」と「徹底的な自己責任」である。
真の紳士は、自分の価値を他人に証明しようと躍起になったりしない。
流行の言葉に踊らされず、社会のシステムに過剰に適応もしない。
ただ、自分がプロフェッショナルとして守るべき流儀や、美学を静かに貫くだけだ。
傷を負うことを恐れず、その傷を他人のせいにしない。
経済的な成功や他者からの賞賛といった外的な報酬がなくても、
自らが定めた規律に従って生きる。その静かな、しかし強固な意志の営みこそが、
大人の男の最大の嗜みであり、豊かさの本質だ。
私たちは、情報が過剰に溢れる世界に生きている。他人の評価や、社会が用意した「正解」に
合わせる方が圧倒的に楽だからだ。しかし、誰かの真似事や、用意された記号を消費している
だけの生き方は、どれほどスマートに見えても、内実としてはひどく格好が悪い。
「かっこいい」とは、洗練されたスタイルを指す言葉ではない。
それは、自分の足で立ち、自分の目で世界を見つめ、その結果として生じるすべての
リスクを一人で背負うという、冷徹な生き方の表明なのだ。豚が空を飛ぶように、ただ自らの
生を全うすること。その覚悟を持った者だけが、本当の紳士と呼ばれるにふさわしい。

 

_____________________________


人生の機敏はナンパ師から学べ! Vol.225 w



ほめコトバを発するひとの心理と
 その言葉を受け取る準備がしっかり出来ているひとの良好な関係性を築く12の方法。

褒め言葉を発する人の心理は、相手への関心への健全な表れだ。
受け取る準備ができている人は、それを自分の価値として内面化し、関係を
さらに温かくする。両者のこの循環が、信頼と安心の土台となる。
令和の若い世代が自然に実践しているこの技術は、年齢を問わず誰にでも使える。
今日から、目の前の人の「選択」に光を当ててみよう。
言葉は、ただの音ではなく、関係を紡ぐ糸なのだから。


しまむらの試着室前で耳にした、若いカップルの会話が忘れられない。
彼女がカーテンから出てきて「どう?」と尋ねた瞬間、
彼氏は「え、なにその完成度」と切り出し、「その色選んだの天才。顔、3割くらい明るく見える」と
続けた。迷う彼女に「買わなかったら後悔する。家帰って絶対思い出すやつだよ」と後押しすると、
彼女は嬉しそうにレジへ向かった。この場面が示すのは、単なる「似合ってるよ」ではない
褒め方の力だ。服を褒めるのではなく、選んだ本人の感性を認める言葉。
発する側の心理には、相手をちゃんと見て、価値を言語化したいという素直な気持ちが宿る。
受け取る側が準備できていれば、その言葉は関係を深くする養分となる。
以下に、そうした良好な関係を築くための12の方法を記す。

・観察を習慣化する。表面的な結果ではなく、選択の過程や工夫に目を向ける。  
・具体性を持たせる。「いいね」で終わらせず、「なぜそう感じたか」を短く添える。  
・相手の主体性を褒める。結果ではなく「選んだこと」そのものを認める。  
・タイミングを逃さない。感動が新鮮なうちに口にする。  
・比較を避ける。他者や過去の自分と比較せず、その瞬間の相手だけを見る。  
・受け取る側はまず「受け止める」姿勢を持つ。謙遜で即座に否定せず、一度味わう。  
・感謝を返す習慣をつける。「嬉しい」「ありがとう」と素直に伝える。  
・双方向性を意識する。褒められたら、次は自分も相手の良い点を探す。  
・日常の小さな場面を活用する。特別な出来事を待たず、日常で練習する。  
・言葉の温度を合わせる。相手の性格に合わせ、大げさすぎず、淡白すぎない。  
・後で思い出す余地を残す。「後で絶対いいなと思うよ」と未来への余韻を添える。  
・継続を恐れない。一度きりで終わらせず、繰り返し誠実に伝える。

 

 

 

相場。
日経指数がブチ上げの振る舞いです。
スッキリ秋空よろしく、青天井が見たいところ。
放置プレイは継続だ。


ウヲッチ銘柄に追加です。
1803 清水建設さん
2874 ヨコレイ      2871 ニチレイ
うんざりするくらい下落ののち、底練りの振る舞いが長ければ
買い付け理由がととのいます。
のんびり追っかけましょうか。

それから もう1コ、8267 イオンさん、
「半値、八掛け、2割引」の株価になったら買い付けしましょうか。
ほら、来年 2027年 "消費ディストピア" 元年だしw

 

 

 

_____________________________


消費税1%という税率引き下げの甘い果実の裏に隠された、

  消費のディストピアについて、Aiさんに聞いてみた。

「消費税1%」の衝撃と、食品価格「2倍」の悪夢。
2027年、日本の消費市場は未曽有のパラドックスに直面する。政府が打ち出す
ドラスティックな減税政策は、本来であれば冷え切った消費マインドを爆発させる
起爆剤となるはずだった。しかし、その足元で進行する食品本体価格の「2倍化」という
冷酷な現実が、減税の恩恵を完全に無効化し、庶民の生活を激変させようとしている。
税率引き下げという劇薬と、ハイパーインフレにも似た物価高騰が同時に押し寄せる時、
私たちの購買行動はどう変容するのか。その深層に迫る。
まず、数字のロジックを整理しておきたい。例えば、2026年時点で本体価格100円、
軽減税率8%で計108円だった食品があるとする。2027年に本体価格が2倍の200円となり、
消費税が1%に減税された場合、店頭価格は202円となる。税負担は8円から2円へと激減して
いるにもかかわらず、消費者が支払う総額は94円もの負担増、率にして約87%のネット増税と
同等の痛みを伴う。つまり、「消費税1%の世界」がもたらす心理的な解放感は、
売り場に立った瞬間に絶望へと変わるのだ。このような極端な価格環境下で、
庶民の購買行動に起きる第一の地殻変動は「エンゲル係数の異常高騰と、それに伴う
選択的支出の完全停止」である。人間の胃袋の容量は一定であり、生きるための食事を
ゼロにすることはできない。食品価格が2倍になれば、家計に占める食費の割合は
必然的に跳ね上がる。結果として、衣料品や家電、旅行、エンターテインメントといった
「なくても生きていける」選択的消費は、事実上の凍結状態に追い込まれるだろう。
消費税1%化によって他産業が受けるはずだった恩恵は、すべて食品セクターに
吸い上げられる形で相殺される。
第二に変容するのは、食そのものの「構造転換」である。生活防衛に走る消費者は、
もはやブランドや産地、あるいは「時短」といった付加価値に金を払う余裕を失う。
市場を席巻するのは、流通大手が圧倒的な規模の経済で製造する低価格の
プライベートブランド(PB)や、賞味期限間近の「見切り品」である。スーパーの惣菜売り場や
特売コーナーでは、少しでも安い食材を求めて消費者が殺到する光景が日常化する。
一方で、中途半端な価格帯のナショナルブランド(NB)や、オーガニックなどを売り隔てていた
高級食材は棚から完全に駆逐される事態に陥りかねない。
さらに、外食産業は「ハレの日の贅沢」へと完全にシフトし、日常的な利用は壊滅的な打撃を受ける。
マクドナルドや牛丼チェーンといった、かつて「安さ」を武器にしていたファストフードでさえ、
本体価格2倍の波に抗えず、1食あたり1000円を軽く超えるようになれば、それはもはや
庶民の日常食ではなくなる。結果として、家で調理して食べる「内食」への回帰が極限まで進むが、
その内食すらも、いかに効率よくカロリーを摂取するかという「栄養のコストパフォーマンス」が
最重視されるようになるだろう。
この消費のディストピアにおいて、企業の生存戦略もまた二極化を余儀なくされる。
富裕層をターゲットに、価格転嫁を厭わず徹底的な高付加価値化を進めるか、あるいは利益を
限界まで削ってでも「1円の安さ」を訴求し続けるか。中間に位置する多くの企業は、
消費者の容赦ない選別によって淘汰の波に洗われることになる。
消費税1%という甘い果実の裏に隠された、食品価格2倍という悪夢。2027年の日本が迎えるのは、
税制の歪みがもたらす一時的な混乱ではない。それは、生きるための「食」という基本インフラを巡り、
庶民が知恵と体力を振り絞って生存をかける、超・生活防衛時代の幕開けなのである。


参考記事)

_____________________________

金融投資の成功法は1000人いれば1000通り、だが、夫婦仲の成就法はただ1つであるw

下田美咲さん著『株式会社 夫婦』を読み終え、こんなに痛快でかつ深く刺さるエッセイは久しぶりである。
本書は「人間関係の最高峰である結婚」という果てしない謎を解き明かす、極上の指南書だ。
「夫婦げんかは犬も食わない」とよく言われるが、かといって「我が家は誠に円満。結婚以来十数年、
夫婦げんかは一度もしていません」などと平然と、あるいは自慢げに発言する夫がいたら、
それは異常です。キモイ夫で間違いない。なぜなら、全く異なる環境で育った他人同士が寝食を共にし、
人生を一本の線に紡ぎ合わせようというときに、意見の衝突が一度もないとは 不可解に思わないだろうか。
もし本当に喧嘩がないのだとすれば、それは調和ではなく「放棄」だ。
その夫は、自分の本当の気持ちや本音を隠し、妻ときちんと向き合うことから逃げ続けてきたのでしょう。
結婚以来10数年という、気の遠くなるような長い年月の間、ずっとです。さらに恐ろしいのは、そうした
夫は他人(妻)に嘘をついているだけでなく、自分自身にすら「嘘」をつき、それを正当化している点に
ある。「円満である」という都合の良い幻影を維持するために、日常の小さな違和感や妻の寂しさに
蓋をし、騙し騙し生きている。自己欺瞞と、不誠実な姿勢で 向き合おうとしない事を続けている限り、
こういう夫は、本当の愛など表現できるはずがない。本気で自分自身と向き合ってきた者にだけ承認
されるのだ。この本はまさに、その真実を徹底的に突きつけてくれる。
さらには、事なかれ主義の「偽りの平穏」に甘んじるすべての大人たちに、冷水を浴びせるような一冊で
もある。著者は「結婚は人生の墓場」と思い込んで育ったのに、あえて結婚し、十年間を「壮大な実験」と
して夫婦を「株式会社」のように運営していると言う。意見の対立が起きそうな場面では感情に流されず、
言葉で戦略的に伝え続ける。察してほしいと黙るのではなく、面倒でも本音をぶつける。
喧嘩を避けて表面を取り繕うのではなく、ぶつかりながら溝を埋めていく。ぶつけ合い、互いの輪郭を
確かめ合うプロセスこそが、本物の「夫婦」を創り上げていくのだと。その姿勢が、読みすすめるうちに
冷静だけれど真摯な情熱が伝わってくるのよ。特に「本音を言う技術」の章は必読。綺麗事ゼロ。
セックスレスにならない工夫も、子どもの誕生でこじれる理由も、すべて赤裸々に書かれているのに、
どこかユーモアがあってほほえましい。「円満です」と嘘をつく夫ではなく、自分と真剣に向き合って
本音でぶつかれる人こそが、本当に愛せる人なんだと改めて教えられたり、
夫婦生活は勝手に楽しくなるものではなく、終わりのないプロジェクトなのだという結論は
醒めた目線ではなく真摯さを突き詰めた彼女なりの最適解なのだろう。
すでに結婚している人はもちろん、これから誰かと人生を重ねていこうとする人にも、
ぜひ手に取って読んでみて欲しい。読後、自分たちの「
♡ 株式会社 」をどう運営するか、
自然と考えたくなること請け合いだ。

 

 

相場。
なぜか日経指数がするすると値を上げている。理由はどなたか言及してくれるでしょう。
そんなわけで、その指数には及ばないけれど持ち株は安泰。
このまま放置プレイです。

ウヲッチ銘柄に追加。
6332 月島ホールディングスさん